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デジタル・ディスラプションの震源地

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「タダより高いものはない」──誰しも一度は聞いたことがある言葉だが、英語にも似たものがある。

「無料のランチなどあるはずがない」。

由来をたどると、19世紀のアメリカ。とあるバーが宣伝で「夜飲みに来てくれた客にはランチを無料にします」とうたったが、実は、ランチのコストは夜の飲食代に含まれていた、という逸話。このように一昔前まで、「タダ」の信用度は低かった。

ところが、現在ネットの世界に目を向けると、非常に有用な機能を提供する無料サービスは増えており、広告料を収益源とする無料のビジネスモデルはもはや主流だ。

前回まで紹介してきたデジタル・ディスラプターたちは、こうした無料ないし限りなく低いコストで提供されているサービスを積極的に活用することで、自社のサービスをコストをかけずに大きく成長させている。今回はこうした「場」を提供するプラットフォーマー(「プラットフォーム」自体を指す場合と、その提供者を区分けするためあえて「プラットフォーマー」とした)たちについて述べていきたい。

 

乱立するプラットフォーム

誰もが知っているプラットフォーマーの代表例はAppleやGoogleだ。それらのプラットフォームを使ってUberやLINEなどさまざまなデジタル・ディスラプターが登場してきており、今や彼らのサービスは「Platform of Platforms」(プラットフォームのプラットフォーム)とも言われている。彼らのプラットフォームはアプリを開発する部品やツール、広く配信する仕組みを持っているだけでなく、利用コストも格段に低い。

例えばiPhoneのApp Storeでアプリをリリースするには、年間たった$99ドルの開発プログラムに加入するだけでよく、便利なツールやチュートリアルなども提供される。数年前にiPhoneアプリを開発した小学生がTEDでプレゼンをして話題になったが、今やそれも珍しいことではない。開発と販売に高度な知識は必要なく、高いインセンティブを販売店に払う必要もない。コストや時間をかけずに誰もがアプリの開発と販売が可能な時代となった。

こうしたPlatform of Platformsを使ってコストを下げながら、独自のエコシステムを作り上げようとするプラットフォーマーたちがユーザーの囲い込みに熾烈な争いを繰り広げている。SNSではLINE、 Facebook、Instagramなどが次々と新機能をリリースし、サービスの差別化とユーザーの獲得・維持に必死だ。また、昨今話題のIoT(Internet of Things)をテーマとするベンチャーの起業も後を絶たず、大手Yahooもさまざまなアプリや機器が接続してつながり合うmyThingsの提供を開始し、対抗措置を取っている。

 

スポーツアパレル企業とデジタルの融合

このような状況で、デジタル・ディスラプションを生み出すプラットフォーム作りを進めているのは、IT企業だけではない。他の業界でもデジタルを巧みに利用した仕掛けを作り続けている企業がある。その1つがNikeだ。彼らは巨大なスポーツアパレル企業だが、デジタルへの挑戦は積極的で、先日も「自動で靴ひもを調節するスニーカー」の発売を2016年内に行うと発表し、世間を驚かせた。

Nikeは2000年代初頭からデジタルとスポーツを融合させた新しい取り組みを進めてきた。2002年にPhilipsと組んでランナー向けのヘッドフォン型mp3プレーヤーを市場投入したことを皮切りに、デジタルとスポーツアパレルを組み合わせた製品やサービスを次々と発表している。2006年には、「ほとんどのランナーはランニング中に音楽を聴いている」という調査結果を元に、当時普及していたiPodに目をつけ、走行距離や時間などのデータを自動的に収集し、可視化するiPodアプリとしてNike+を発表した。Nikeは自社で製品を0から開発、普及させるのではなく、すでに普及しているiPodというプラットフォームを使うことで、コストを抑えつつNike+を消費者に浸透させていった。

お気付きのように、この時点ではNikeはまだプラットフォームを利用する側だった。しかし近年、Nike+はユーザーと対応製品をつなげるプラットフォームとなりつつある。Nike+に対応したリストバンド、スポーツウォッチ、心拍計などを身に着けての運動や、Nike+トレーニングアプリを使うことで、走行距離やカロリー計測が可能。また、Nikeが提案する運動量の単位である「NikeFuel」によって、さまざまな運動をした時の活動量を統一指標で確認することができる。これらはアプリで集計し毎日の運動量の推移を確認できるほか、ネットでシェアして友達と比較することもできる。Nike+によってユーザーは体を動かすモチベーションがさらに高まると同時に、Nikeブランドへのロイヤルティーも強くなる。結果として競合製品に切り替えるスイッチングコストを高め、Nike製品の販売も促進されている。ユーザーが無料でプラットフォームを使い続けたとしてもNikeにはメリットがあり、その対価を直接ユーザーに押し付ける必要がないのだ。

 

また、Nike+のAPIは公開されており、さまざまなアプリやデバイスがNike+と情報連携することが可能だ。アプリ開発企業やスポーツ関連企業はNike+に対応する製品をリリースすることで、ユーザーの運動データを活用した、全く新しいアプリや製品を作り出すことができる。Nike自身も今年6月にリリース予定の新アプリから製品を購入できる仕組みを導入すると発表。ユーザーの運動履歴に応じた適切な製品の推奨やNike+アプリからのみ購入できるカスタマイズ製品などを発表していくという。

このように「無料」+「デジタルを活用したユーザーを囲い込む仕組み」をいち早く作り出しているのは、さすがデジタルを知り尽くしたNikeだと感服せざるを得ない。

 

企業同士がつながるBtoBのFacebook

 近年、FacebookやTwitterなどのSNS(ソーシャルネットワークサービス)は、若年層のみならず広範囲な年代を取り込んで普及し、震災時には安否確認にも使われるようなライフラインとして生活に浸透している。だが個人と同じように「ソーシャル」な存在であるはずの企業はどうだろうか。ネットの力を利用して顧客や取引先のネットワークを広げたり、コラボレーションや業務の効率化を進めたりしている企業が多いとは言い難い。こうした状況に一石を投じるのが、2015年の世界経済フォーラムで”Digital Disruptor賞”を受賞したトレードシフトだ。

トレードシフトは欧米で「BtoBのFacebook」とも呼ばれている、企業間取引のためのソーシャルネットワークだ。Facebookとは異なり、「企業」がアカウントの単位となっており、企業同士があたかも友達ネットワークを作るかのようにつながり合う。つながった企業同士は、注文書や請求書などの電子文書を無制限に送り合うことができる。これまでEDIなどで行われていた発注や請求のやりとりはすべて無料で行うことができるほか、ユーザーがマニュアル無しでも直感的に使えるような画面設計がされている。このあたりが従来の企業向けソフトウェアと大きく異なる点だ。

また、トレードシフトにはスマートフォンのApp StoreやGoogle Playのようなアプリストアがあり、電子取引業務の効率化を実現するアプリや決済アプリ、他のネットワークや会計システムと連携させるコネクターアプリなど、多彩なビジネス向けアプリがそろっている。ユーザー企業はスマートフォンのアプリ同様、いつでも有効化して機能を拡張できるほか、トレードシフトの開発者として登録し、自らアプリを開発することも可能だ。現在、アプリの半分以上は無料で提供されているが、トレードシフトの収益源は販売された有償アプリの売上の一部をアプリ提供企業から収受するロイヤリティーだ。アプリ提供企業はトレードシフトに蓄積された商取引データや認証機能などを自らが提供するアプリと連携させることで、ユーザー企業に対しさまざまな便益を提供している。

 

トレードシフトは現在、世界200カ国80万社で利用されており、DHLやXerox、チューリッヒ生命といったグローバル企業やLinkedInなどITベンチャーが採用している。また、デンマーク政府の電子請求システムやEU間の調達プラットフォームであるPEPPOLともデータ連携されており、他のネットワークへの統一された接続インターフェースとしても活用できる。今年3月には中国政府の税務関連サービス企業との戦略的提携を発表し、中国政府への請求や中国の企業間取引などで利用されていく予定だ。今後も業界・地域ネットワークとの接続や、アプリを提供するソフトウェア企業が増えることにより、ますますユーザー企業が増えていくと予想されている。

 

「タダ」こそ、デジタル企業成長のカギ

ここで冒頭の無料サービスの話に戻ろう。今回紹介した2社は、共に希望すれば永続的に無料で使えるサービスだ。

では、これらのサービスはやはり結果として高くつくのだろうか。

ダン・アリエリーの著書『予想どおりに不合理』の中で述べられている実験によれば、1セントのノーブランドのチョコレートと15セントのリンツの高級チョコレートを学生に選ばせたところ、73%がリンツのチョコレートを選んだという。つまり、14セントの価格差を超える価値がリンツのチョコレートにあると考えられたのだ。ところが、共に1セント価格を低くし、無料のチョコレートと14セントのリンツのチョコレートを選ばせたところ、今度は69%の学生が無料のチョコレートを選び、好みが逆転したという。人は何かを得る時に、たとえ1セントであっても何か失うリスクがある場合、コストパフォーマンスを無意識に計算し、損をするリスクを回避する思考が働く。しかし、無料の場合には失うものがないため、その思考自体が働かずに無料を受け入れやすくなるというわけだ。

デジタルの世界におけるプラットフォーマーたちは圧倒的なユーザーシェアを得るために、「意図的に」有用なサービスを無料で提供しており、コスト削減のためにサービスレベルを落とすようなことはしていない。高いサービスレベルで無料を維持したとしても、現物のビジネスよりもはるかに限界費用が低く、膨大なユーザー情報をもとに別の手段で収益を得るビジネスモデルを作り上げれば良いのだ。

つまり、デジタルにおける「タダ」は、モノの世界の「安かろう悪かろう」を連想させる「タダ」とは根本的に異なる。提供者からすればフリーライダーは大歓迎であり、ユーザー視点でも「タダより高いものはない」ではなく、「タダは最大限活用すべき」なのだ。

 

やるか、やられるか

無料、あるいは限りなく無料に近いプラットフォームを活用して、新たなディスラプターが次々生まれる時代において、もはやITシステム全てを自社で開発しようという考えは捨てたほうがよいだろう。競合が低コストのプラットフォームを活用してコストを下げながら、広範なチャネルと柔軟性を身につけることが、どれほどの脅威になるか考えていただきたい。

昨今の変化の激しいビジネスでは、これらのプラットフォーマーがもたらすメリットを利用することなく、それらを使う企業に対抗するには限界があるのだ。逆にこれらのプラットフォームを効果的に利用し、コストを抑えながらキラーコンテンツを作ることに成功すれば、数年後にはデジタル・ディスラプターとして産業界から一目置かれる存在になるかもしれない。

まさに、やるか、やられるか。

選択の余地は、もはやなくなっている。

 

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